惑星メガにおける労働組合運動


惑星メガにおける労働組合運動惑星メガにおける労働組合運動である。共通中世歴14世紀末から15世紀初頭に最高潮に達した。


概要


 アルダン帝国による1376年~1388年の東方出兵が終わると、銀河西方世界はアルダン帝国の強大な軍事力の下、約1世紀の平和な時代を享受した。
 アルダンの平和は国家主導の軍事経済から民間主導の経済へと経済構造の大きな転換をもたらし、軍需産業の中心地であったメガにおいても、合金工場の所有権が帝国政府から民間財閥へと払い下げが行われた。民間財閥は利益重視のため、それまで存在した多くの安全規制を撤廃し、また賃金の段階的な引き下げを行ったため、合金工場労働者の生活水準は大幅に悪化した。
 当初はこうした生活水準問題を皇帝への請願で解決しようと試みられ多くの労働者が請願を行ったが、1399年についに合金技師のショワスールが請願に成功するも、民間経済への移行は帝国の既定路線であると生産性向上省が発表すると、運動はやがて闘争的な組合運動へ発展していった。
 1404年には初の大規模ストライキがD区域で実施され、合金工場の払い下げ中止を求めたストは、国防力の低下を懸念した軍部の意向もあり、帝国政府に払い下げの中止を認めさせた。さらに他の既に払い下げが実行された地区においても、歩調を合わせて政府の厳しい経営規制が実施された。
 こうしていったんは組合側の勝利として終わったと思われた組合闘争であったが、帝国中枢部において軍部の政治力が低下し、ブルジョワ・経済主義派閥の勢力が強くなると、1411年には経営規制の撤廃と、残る国営工場の払い下げが決定された。これに対して組合側は惑星工場の一斉ストで対抗するも、2か月に及ぶストは労働者の貯金を払底させ、多くの労働者が賃金目当てに職場復帰して組合側の敗北となった。
 しかし、組合指導部は運動全体の敗北を認めず、翌1412年に組合指導部の一部が第5地区の停電テロを決行した。労働者もストの中止を納得していたわけではなかったため、このテロに対して賛同的であり、テロ容疑者の逃亡には多くの地元労働者が協力した。これに対して政府は、経済界ならず軍部もまたこうした動きに強く脅威を抱き、テロへの警戒を強めた。
 第5地区の停電テロ事件以降、労働者陣営vs帝国政府及び経済界のテロ戦争は日に日にエスカレートし、1414年からは現地の国軍陸戦隊がテロ警戒に動員されるようになった。しかし陸戦隊の多くはメガの労働者階級出身であり、彼らが労働者側に同情的な態度を示すと、組合幹部は秘密裏に陸戦隊下級指揮官と接触し、メガにおけるクーデターを画策した。
 この計画は1416年についに決行され、現地陸戦隊と組合幹部がメガ総督を殺害、さらに駐留艦隊の乗っ取りを目指すも、艦隊指揮官は迅速にメガから出航し難を逃れた。管理局市が陸戦隊・組合側の手に落ちたことにより、メガの住民はクーデター側の成功を確信し、また陸戦隊・組合側も国防体制の中心たるメガに対して帝国側が爆撃を決行することは無いだろう考え、強気の交渉を行っていた。しかし、帝国側はこうしたクーデターを組合と一部陸戦隊の者によるものだと認識しており、帝国の陸戦隊を降下させれば現地陸戦隊の多くは戦わずして投降するだろうと考えていた。
 クーデターから21日目、帝国政府は陸戦隊の惑星強行着陸を実施。そうした事態を想定していなった組合・陸戦隊側の対空砲火は沈黙しており、降下した陸戦隊は流血なしにクーデターを鎮圧できるものと確信したという。
 しかし、帝国陸戦隊の降下が周知されると、陸戦隊・組合幹部だけならず、多くの労働者が帝国陸戦隊との市外戦に参加し、管理局市は混乱の中で誰も状況を把握できない戦闘が始まった。特に陸戦隊は帝国側と組合側で多くの同士討ちが発生し、犠牲者が増大した。5日間の戦闘の末、管理局市は帝国側の手に落ち、組合側は残る地域での徹底抗戦を諦め降伏した。こうした降伏判断の背景には、主戦派が戦闘で軒並み戦死したこと、地上軍同士の大規模な戦闘が起きた以上、事態がよりエスカレートし帝国側が宇宙艦隊による起動爆撃を実施することも想定され、そうなった場合に組合側には対抗手段がないことなどが挙げられる。
 事件の後、帝国政府はクーデター首謀者と陸戦隊兵士を投獄・処刑し、またメガの労働者には賃金補助を行うとともに、経営規制の再導入に踏み切った。一方で組合は管理局市の戦いにより幹部が軒並み戦死したことにより、組織として壊滅状態となり、多くの組合は以後管理局市の戦いを若くして経験した新世代により事実上の新体制が構築された(名前のみは多くの組合で引き継がれた)。これにより、組合運動はそれまでの賃金問題や安全規制問題ではなく、帝国政府の打倒を目的とした過激なものへ変化していき、労働者の支持も失っていった。
 激化する組合残党のテロに対し、1418年にはメガ総督に陸戦隊出身者が着任するほど治安は悪化していた。
 その後、政府は合金生産の段階的縮小を実施するとともに、メガ惑星の治安が悪化したことから、多くの住民の間で他惑星へ移住する動きが広がった。政府もこうした動きを産業構造転換の観点から支援した。
 これ以後、メガは約1世紀の間歴史の表舞台から姿を消し、かつて大量の合金生産と過激な組合運動が行われた惑星として人々の間に記憶されることとなる。



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