メガ(惑星)


メガ(めが、中世プラネット語:繝。繝シッ、中世人類語:Mega)は、第41エリアに存在する有人惑星。主にアルダン帝国時代には合金生産の中心都市として栄えた。


歴史


発見からナヤン朝時代まで

 メガが発見されたのは共通中世歴1203年であった。ナヤン朝の宇宙探査チームがメガを発見した際には、メガは単なる可住惑星の一つとしてしか扱われていなかったが、1221年にナヤン朝の宇宙考古学者ロベ・ロルドが惑星メガの発掘を開始すると、発掘解読された文書から、メガが古代帝国リリックの合金生産惑星であることが判明した。
 その後ロルドのさらなる調査により惑星南部からリリックの古代合金生産設備が発掘され、本施設が一部を除き復旧可能であることが判明すると、ナヤン朝は予算を投じて施設を復旧させ、1238年には最初の合金生産が始まった。
 1254年のロベルト号事件により、銀河西方において大開拓時代から帝国時代への時代変化が始まると、ナヤン朝はメガを合金生産拠点として開発を始め、ロルドの死後発掘されていた巨大飛行場跡、巨大倉庫跡、巨大集合住宅跡など、多くの古代リリックの遺跡が改造の上でナヤン朝の施設として利用された。
 しかし1281年から始まった第4次銀河西方大戦においてナヤン朝はイクターンの戦い(1283年)に敗北し、侵攻してきたアルダン帝国によってメガは都市爆撃を受け、特に合金生産のための工場群はその70%が破壊された。
 メガの合金生産停滞によりナヤン朝の劣勢は決定的となり、1287年にはメガはアルダン帝国第87歩兵軍団により侵攻を受け、メガは翌年陥落した。

アルダン帝国による復興

 アルダン帝国11代目君主ハンダイは、占領したメガの惑星に降下し、わずか200時間の滞在でメガが合金生産の拠点として多大な可能性を秘めていることに気が付いた。1290年~92年のルルン講和会議において、ハンダイはメガを占領惑星として正式に承認させ、以後の生涯をメガの開発に注力した。
 1289年時点で2rに過ぎなかったメガの合金生産は、1292年には7r、1301年に40r、1311年には100rを超え、急速にアルダン帝国の合金生産拠点として開発が進んだ。
 古代の合金生産施設が再稼働し、大型飛行場からは次々に鉱物と合金が交換され輸出されていく姿を知った、ズン市民連合のハイト将軍は後に、「我々はメガの可能性に気づかなかったという一点において、前大戦で敗戦してしまったのである」という言葉を残している。
 メガの合金生産により軍事力を増大させたアルダン帝国は、以後第5次銀河西方大戦、第6次銀河西方大戦、オルン動乱、第8次銀河西方大戦を戦い、急速にその領土を拡大させていった。

生産革命

 14世紀中盤にメガの合金生産を大幅に拡大させたのが、帝国生産性向上省で行われた第7次産業集中化政策(1334年~1349年)である。生産性向上省は11代目君主ハンダイにより産業集中化政策の実行を目的として設立されていたが、一部惑星に特定産業を集中させることへの安全保障上の懸念から、軍部の強力な反対によりうやむやになっていた。
 しかし、第6次銀河西方大戦と第8次銀河西方大戦により領土中心部を他国の勢力の及ばない完全地帯とすることに成功したアルダン帝国は、完全地帯での海賊スクリーニングを成功させ、生産性向上省事務次官のジム中川の強力な推進の下、メガへの更なる合金生産拠点の集中を実行した。
 15年間の第7次産業集中化政策により、メガにそれまで残っていた少数の農業区域や発電区域が解体され、メガは惑星上全てが合金工場とそこで働く住民の住居と宇宙港の敷地で覆われた無地表惑星となった。
 さらに合金生産の中で細々と続けられていた消費財の生産も打ち切られ、メガは消費財生産すらも完全に他惑星の生産に頼る、完全単一生産惑星となった。
 こうした改善努力によりメガの合金生産効率は15年で212%の改善を記録し、生産量は15年前の1100%を超えた。メガの巨大な生産力はアルダン帝国の軍需需要に限らず、アルダン帝国の友好国家すらも合金生産の多くをメガからの輸出に頼るようになっていく。こうした合金外交はさらにアルダン帝国の影響力を外部へと拡大させた。

黄金時代と停滞

 アルダン帝国は拡大を続け、1376年~1388年の東方出兵によりダガン州を統合すると、圧倒的な軍事力を背景に、以後約一世紀の平和を享受した。アルダン帝国による平和は銀河情勢を安定させ、平和と繁栄の黄金時代をもたらし、メガも開発の拡大を進められた。
 一方で他帝国との戦争の危機が去ると、産業の自由化と合理化が進められ、国家主導の経済から民間主導の経済へと経済界の構造転換が進んだ。しかし、民間主導の経済は繁栄の中にも富の格差をもたらし、また他帝国との戦争が非常に低い銀河情勢は、組合運動の激化をもたらした。
 当初は黙認されていた組合運動も、1412年に第5地区の停電テロ事件を契機に政府は一転して弾圧に乗り出し、1416年には管理局市の戦いで50万の死傷者を出すと、以後組合闘争は賃金格差解消から反政府運動へと性格を変化させた。
 帝国の軍需産業の中核であるメガの治安悪化はアルダン帝国の帝室に安全保障上の懸念を抱かせ、1418年にはメガ総督として99年ぶりに生産性省出身ではなく、軍の陸戦隊出身の人物が選出される事態となった。
 この時期、アルダン帝国は周辺国家との共同安全保障体制を盤石なものとしつつあり、また軍縮条約推進の国際風潮の中、アルダン帝国の軍備の過剰な軍備は財政を圧迫し他国との経済競争の足枷になるだけでなく、周辺国に対する軍事侵攻の疑惑すら生みかねないほどであった。
 新規の軍艦建造が減少することは、当然それを支える合金生産も不要になりつつあり、またメガの組合闘争を抑えるべく政府が実施した合金生産従事者への賃金補助はさらに帝国の財政状況を圧迫しつつあった。
 この時期のアルダン帝国は平均賃金偏差値で42と、国力としてはいまだ大量の人口と生産力を抱えながら、平和な時代のグローバル経済競争の中で負け続け、人々はそうした現状に不満を抱いていた。
 アルダン帝国政府はこうした事態に対し、メガからの移民キャンペーンを実施し、また一部生産区域の段階的な閉鎖も進めた。メガの巨大な合金生産力は過去の遺物となりつつあった。

暗黒時代

 過去の組合運動の反省から、メガにおいては支配層と労働者階級の積極的な交流が進められ、またかつて多くの移民が流入してきたメガは、いまや若者が他惑星へ出ていくのが当たり前となり、メガの人口構成はメガ生まれメガ育ちが大半を占め、固定化しつつあった。
 こうした人口動態的な風通しの悪さは一方でそれまで多くの文化が混在していたメガに統一された固有の文化を誕生させ、我々はメガ市民であるという意識を産み始めていた。
 アルダン帝国は1432年にノル政権が成立し、立憲民主制が確立し始めていた。しかし、銀河規模のアルダン帝国での民主制は、惑星ごとの民意を中央に届けるのは難しく、中央政府は各惑星議会への地方分権を進めた。こうした惑星議会の存在もメガにおいて急速に一つの共同体意識が生まれた背景であったと考えられている。
 15世紀前半のメガは当時のグローバル商業主義の中で大きな存在感を持ってはおらず、同時代史の多くがメガに関する記述を行わなかった、この時代はメガ史の暗黒時代と呼ばれている。

戦乱再び

 16世紀前半から徐々に始まった銀河中心部世界からの海賊侵入は、1540年代ごろには再び合金需要をひっ迫させ、メガの合金工場も次々に再稼働を始めた。1559年にはアルダン帝国もサッジ戦争へ介入を行い、ほぼ1世紀ぶりの大規模な戦争が発生する。
 しかし、サッジ戦争での無様な敗戦からアルダン帝国は徐々に軍事的弱体化した姿をさらけ出すようになる。銀河西方世界の秩序を乱さんとする動きに対し、アルダン帝国は第二次サッジ戦争、ルビイン紛争介入、ノウェー戦争と軍事介入を行っていくも、常に決定的勝利を得ることがでず、外交目標を達成することができなかった。
 こうした背景にはメガの利権も絡んでおり、当時合金生産により経済拡大を進めていたメガは、その資金の源である合金を消費する軍艦建造、ひいては軍艦を必要とする戦争を必要としていた。手段を目的とした戦争は有効に行われなかった。
 メガはアルダン帝国の中心部に位置していたため、戦争となっても直接的な被害を受けることはあり得なかったが、周辺部の星系は戦争となると軌道爆撃の対象となる可能性があり、特にルルブス惑星爆撃(1572年)以降はアルダン帝国周辺部の惑星は明確に反戦的な立場を取った。こうした立地上の対立は立憲民主制を取るアルダン帝国において分断を深め、1577年には首都アルダンで軍部によるクーデター未遂事件が発生するなど、政治的混乱の時代が続いた。

メガ戦役

 アルダン帝国の分断は、最終的に戦争により解消された。弱体化したアルダン帝国を撃つべく、1585年、エル帝国がアルダン帝国へ全面侵攻を始めたのであった。アルダンにとってこの事態は予測していなかったものであり、エル帝国の電撃戦により多くのアルダン帝国の星系が陥落、エル帝国艦隊はメガを攻略可能な位置にまで迫った。
 メガは惑星機能としては合金生産能力しかなく、合金を生産するための鉱物、住民のための食料と消費財は他惑星から輸入してくる必要があった。エル帝国艦隊はメガに入ってくるアルダン帝国の輸送艦隊を襲撃し、メガの機能不全を起こすことで、国力で優位に立つアルダン帝国の生産力を削ぐ狙いがあった。
 こうして、メガに鉱物他を運ばんとするアルダン帝国艦隊と、それを阻止せんとするエル帝国艦隊の間で、2年に及ぶメガ宙域戦役が勃発した。
 戦役のさなか、メガは生産した合金で軍艦を建造するため、リングワールドには造船工場が設けられ、メガで生産された合金はそのまま造船工場へ輸送され、造船工場で完成した軍艦はそのままエル帝国艦隊との戦いへ加わっていった。戦役の際、メガではそれまでの軍艦建造以外にも、即席戦力として多くの宇宙戦闘機・宇宙爆撃機が生産され、メガの巨大飛行場からエル帝国艦隊迎撃のために発進していった。
 メガ戦役はエル帝国艦隊のロビンソン撤退作戦で幕を閉じ、メガ戦役の翌年に起きたマッサの戦いに敗れたエル帝国は、1588年にメガ条約において白紙和平の講和を締結した。

ググ将軍時代

 メガ戦役含むエル帝国との戦いは、最終的に白紙和平しか結べなかった点においても、アルダン帝国の弱体化を示していた。特に市民生活は、エル帝国戦争を機に急速に悪化しており、戦後回復すると思われた生活環境が回復しなかったため、国民は不満を爆発させた。メガにおいてもこの時期、百年ぶりに組合運動が盛んとなっている。
 しかし他惑星の不満はそれにとどまらず、特にエル帝国戦争で被害を受けなかった惑星では、復興のための非常に高い税率に対し、強く不満の声が上がった。こうした対立がいまだ健在のエル帝国に対して隙を与えかねないと考えた軍人たちは、1596年にググ将軍を中心としてクーデターを実施した。
 ググ将軍は、メガではなく首都惑星アルダンの出身であり、当初はアルダン派の人物であったが、軍との結びつきが強く、またエル帝国戦争において前面に立たされていたメガにとって、ググ将軍は後に高い人気を得た。
 一方でエル帝国戦争において被害を受けなかった惑星においてはググ将軍のクーデターに対しては反対の声が強く、ググ将軍によるサンベルト惑星の首長解任宣言を機に、反クーデター派とググ将軍派は内戦に至った。
 艦隊戦は宇宙軍を掌握していたググ将軍派の一方的なものに終わり、なおも抵抗を続ける反クーデター派惑星に対して帝国地上軍は効果部隊による地表制圧を準備していたが、作戦決行直前にググ将軍は突如としてサンベルト惑星の首長解任宣言を撤回し、反クーデター派惑星に自治権を保証し停戦を行った。
 軍内ではこの決定に対して不満の声が強かったが、ググ将軍は地上戦による惑星経済の破壊を危惧し、大幅な譲歩を行ってでも講和する必要性を認識していた。
 その後ググ将軍はエル帝国戦争で疲弊していた艦隊戦力の再建に注力するも、1601年に若手青年将校によって暗殺される。

カガ大佐時代

 暗殺されたググ将軍の後継となったのは、ググ将軍の腹心であったカガ大佐であった。カガ大佐は経済官僚のランダ経済企画庁事務次官を副首相に据えるなど、「経済・軍事国家」をスローガンに革新的な帝国立て直し政策を図った。
 しかし、アルダン帝国はいまだ立憲民主制の記憶が色濃く残り、国民の多くは改善されない生活環境へ未だ強く不満を抱いていた。一方でカガ大佐の率いるググ将軍派も軍内での支持は盤石と言い難いものであった。
 こうした不安定な政治状況下で、カガ大佐はそれまでアルダン帝国がとってきた銀河西方部地域の盟主としての外交政策を改め、緊張緩和政策を実施した。国防政策においても艦隊増強から要塞建設へ切り替えを行い、エル帝国戦争で占領されたいくつかの未復興惑星を要塞惑星へと改造し始めた。
 外交政策、国防政策においてはカガ大佐の計画は順調に進んだが、民需経済は一向に改善されなかった。特に海賊対策ではエル帝国との戦争準備を重視する軍主流派に譲歩したため、海賊対策艦隊は常に不足しがちであり、高い輸送コストが足枷となって民需経済は一定以上の改善を見せなかった。
 メガにおいては国防政策が艦隊重視から要塞重視に変更され、合金需要が減少したため、慢性的不況に陥っていた。一方でアルダン帝国中心部に位置するメガは艦隊発進地点の一つとして星系軍港としての機能が拡充され、また合金生産縮小に伴い職を失った者の多くが軍人として艦隊勤務に就いた。

メガ国の成立

 結局、国民の不満も軍の不満も抑えることができなかったカガ大佐は1610年に心労で倒れ、軍病院で職務遂行困難という判断がされると、法的に定義されていなかったカガ大佐の後継者争いは軍、国民、地方議会を巻き込み激しく争われ、アルダン帝国はついに分裂した。
 1612年に軍の非主流派がクーデターをもくろみ首都アルダンを爆撃すると、軍主流派は動員した艦隊で艦隊戦を実施、非主流派はアルダンから逃走し諸惑星に分散して逃れるも、軍主流派は各地に散らばった非主流派部隊に対して決定的な打撃を与えることができなかった。
 こうして軍内の内戦が膠着すると、諸惑星はそれぞれの思惑から一斉に独立、あるいは自分達こそ正当なアルダン帝国の後継であると宣言し、アルダン帝国は大きな混乱に見舞われた。
 メガにおいては1614年にそれまで統治していたアルダン派(軍主流派)の臨時総督を追放し、メガ国の独立が宣言された。メガにはカガ大佐時代に建設された艦隊、軍港が揃っており、艦隊の構成員は多くがメガ出身者であったため、メガ国はアルダン帝国の中でアルダン派(軍主流派)に次ぐ戦力を有していた。
 経済としてメガは他惑星から輸入してきた鉱物を合金に加工する体制であったため、その性質上単独で独立を保つことはできず、必然的に他惑星、特に鉱物・食料を生産する惑星への軍事侵攻が始まった。こうした軍事侵攻は1619年のワブ惑星を占領をもってメガ帝国の最大版図を築くも、1621年にはエル帝国からの宣戦布告を受け、第2次メガ戦役が始まった。

第2次メガ戦役

 以下は加筆が求められています。


年表


共通中世歴1203年 メガの発見
1221年 ロベ・ロルドが発掘調査を開始
1238年 古代以来初の合金生産が復活する
1254年 ロベルト号事件
1281年 第四次銀河西方大戦が始まる
1283年 イクナーンの戦い
1287年 アルダン帝国軍の地上軍が降下、翌年メガ陥落
1290年~92年 ルルン講和会議
1311年 合金生産量が100rを突破
1334年~1349年 第7次産業集中化政策
1376年~1388年 東方出兵
1412年 第5地区、停電テロ事件
1416年 管理局市の戦い
1418年 総督に陸戦隊出身の人物が選出
1432年 ノル政権成立
1559年 アルダン帝国のサッジ戦争介入
1572年 ルルブス惑星爆撃
1585年 エル帝国がアルダン帝国へ宣戦布告、メガ戦役始まる(~1587年)
1588年 マッサの戦い、エル帝国と講和
1596年 ググ将軍によるクーデター
1601年 ググ将軍暗殺
1610年 カガ大佐倒れる、アルダン帝国分裂
1612年 軍の非主流派のクーデター未遂、アルダン爆撃
1614年 メガ国成立
1619年 ワブ惑星占領
1621年 エル帝国から宣戦布告される、第2次メガ戦役



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