16世紀の銀河西方世界における海賊侵入


16世紀の銀河西方世界における海賊侵入は、主に16世紀前半から始まった、銀河中心部から銀河西部への海賊侵入。この海賊侵入によりアルダンの平和が終わり、以後銀河西方世界は帝国主義時代へ突入する。

概要

 1388年のアルダン帝国の東方出兵以来、銀河西方世界は約一世紀の間平和と繁栄の時代が続いていたが、銀河中心部からの海賊の侵入により平和の時代は終わりを告げた。
 戦乱の時代が続いていた銀河中心部で革新的な移動技術であるジャンプドライブ航法が開発されると、16世紀前半ごろから多くの海賊が銀河中心部から銀河西方へ略奪にやって来るようになった。
 西方銀河世界はこれに対し、当初は中心部付近の国家が軍事力を増強して対処していたが、やがて中心部に近い国家の財政が傾いてくると、それらの国家から多くの移民が他国へ流出し、海賊対策を行う国家群は滅亡の危機に瀕した。
 西方銀河世界の国家はようやく重い腰を上げ、それまでの海賊対策助成金による支援ではなく、直接の軍事力を用いて海賊対策に乗り出した。この軍事介入にあたり、当時の銀河連邦が中心となり計画・実行されたのがデルタプランと命名された、銀河中心部世界にまで各国連合艦隊を遠征させ、海賊の根拠地を破壊するという大規模な計画である。
 このデルタプランは目標の70%程度の海賊根拠を破壊し、一定の成功を収めたものの、作戦後も銀河西方世界にやって来る海賊を減らす効果は期待されたほどではなかった。
 そこで第2次デルタプランが立案され、前回より7割増しのさらに大規模な連合艦隊が編成され、前回の3倍遠くまで、前回より2倍の海賊根拠地の破壊を計画するも、大規模で長期間の遠征は兵士の士気、国家財政に多大な負担を与え、さらに戦闘は中盤から泥沼の展開となり、想定の4倍以上の損害を受けて1535年に連合艦隊は撤退することとなった。
 第2次デルタプランを指揮した連合艦隊総司令官のダダ・リンは、撤退中行動時期の日記において、早くも撤退の判断を後悔し、最後まで徹底的にやるべきではなかったのではないか、と考えを記している。
 各国が財政、軍備の上で多大な負担を強いて行った第2次デルタプランの失敗は、海賊対策に対して以後二度と国家間の協調した軍事行動が行えない結果となり、銀河西方世界は協調を欠く中で、グローバル経済は海賊により崩壊していった。

結果

 銀河西部世界で再び宇宙海賊が活動を始めると、惑星間の輸送コストは跳ね上がり、経済的繁栄の基盤が失われた。また海賊対策として船団護衛方式が復活すると、国軍艦隊の力が強力とななった。また経済縮小の中で生活環境を悪化させていった国民の不満を国軍が吸収していき、これらは後の帝国主義時代への布石となった。



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