パセレ・ボアンガ


パセレ・ボアンガ(共通中世歴1542年~1608年)はアルダン帝国の軍人。メガ戦役にて艦隊司令として参戦。本戦役で戦功を挙げ、後にアルダン帝国軍上級中将となった。


生涯


メガ戦役まで

 ボアンガは1542年、海賊侵入によるアルダンの平和が崩れていく時代に、惑星メガの上級会社役員の家に生まれた。
 17歳でサッジ戦争介入時の愛国ブームを経験すると、期待されていた合金会社役員としての人生コースを蹴り、遠く首都惑星アルダンの士官学校へ入学した。
 士官学校卒業時評価は全体の上位5%であるS評価であり、士官学校卒業後は生まれ故郷である惑星メガの駐留艦隊に勤務。1566年に巡洋艦偵察員(准尉)、1567年に偵察班長(下級少尉)、1569年に副航海長、1672年に巡洋艦副艦長(中級少尉)。
 その後はメガで軍需品である合金生産の管理業務を担当し、1674年に軍需部へ転属、第2部(生産管理) 第2課 メガ惑星局生産管理部第2課職員(上級少尉)、1677年に第2課長(下級中尉)。メガでの合金生産の管理は合金生産会社の上級役員としての生まれが大いに役立ち、軍人と会社員の間を取り持つ役にあたった。
 1681年にメガを離れ、首都惑星アルダンの軍需部本部へ異動となり、軍需部 第1部(計画) 第4課(生産計画) 第2班職員、1685年に第二班長(中級中尉)。短期間ながら、ここで後につながる首都惑星アルダンでの人脈を築いた。

メガ戦役

 エル帝国のアルダン侵攻が始まると軍需部としてメガ惑星へ赴くも、現地では新規に生産された軍艦の乗組員が不足している事態となっており、臨時措置として艦隊勤務が命ぜられる。
 第62臨時分隊 臨時分隊長として駆逐艦艦隊の指揮を執り、2か月で30隻以上の巡洋艦および戦艦を撃沈、正式に分隊長へ昇進。さらにエル帝国軍が1艦隊の構成艦を増やし、少数の大艦隊で駆逐艦や宇宙戦闘機群を迎撃するようになると、アルダン帝国軍も大艦隊を編成し積極的な艦隊戦を行うようになり、こうした大艦隊の指揮のために設置された臨時分艦隊司令部の参謀に任命(上級中尉)。3か月後の戦いで分艦隊旗艦が撃沈され司令部が壊滅するものの彼は奇跡的に生き残り、臨時分艦隊臨時司令長官を拝命。戦局が好転するにつれて艦隊規模もますます大きくなっていき、臨時編成された大艦隊の指揮官として、第7軍 第12軍団 第4艦隊 第14分艦隊司令部参謀長(下級大尉)、後に第32分艦隊司令部 司令長官(中級大尉)となる。
 狭義のメガ戦役がアルダン帝国軍の勝利に終わり、艦隊再編が進むと第7軍 第12軍団 作戦班員に抜擢され、ミヒャエル宙域海戦で第12軍団を救うこととなる進言を行うと、戦功が認められ第12軍団作戦参謀に任命され、マッサの戦いでは彼の進言により第12軍団は戦闘全体に影響を及ぼす活躍をし、彼自身も多大な名声を得る。戦勝後の祝賀ムードの中で1589年に下級少将へ2階級特進した。

メガ戦役後

 戦役後はアルダン惑星の軍本部へ異動し、宇宙軍軍政部 第4部(自軍分析) 第4班(生産) 副班長に就任。軍需部での経歴と、メガ戦役で新しい戦争の形を見たという両方の経験を持つボアンガは貴重であり、軍需経済に関する分析担当者としてアルダン帝国軍の編成に少なくないを与えることとなった。1993年に第4班班長に就任(中級少将)。
 1996年のググ将軍のクーデターには誘われたものの参加を拒否、しかし反対もせず中立を保ったため、引き続き第4班班長を留任された。クーデターを巡る内戦においては、生産分析の責任者としてググ将軍へ地上戦による惑星経済の破壊がアルダン帝国軍の弱体化を招くことを進言、これはググ将軍が反クーデター派と妥協する要因となった。
 1601年にググ将軍が暗殺されると、分裂した軍内において各派閥の融和を説き、最終的にカガ大佐の支持に回った。カガ大佐の主導する経済・軍事国家のプロジェクトチームにアドバイザーとして参加。しかし計画を机上の空論として拒絶したため、参謀本部へ栄転という形でプロジェクトチームを追い出された(1603年参謀本部 編成参謀顧問(中級中将))。
 さらに参謀本部がカガ大佐の打ち出した要塞重視の国防政策に反対を唱えると、カガ大佐は参謀本部の粛清を実行。ボアンガも巻き込まれる形で1605年に辺境の要塞司令官(上級中将)に飛ばされた。以後は反カガ大佐派として軍内での派閥政治に身を投じていくも、成果が実る前に1608年死去。


思想


 軍本部移動後は軍組織の維持を第一とし、ググ将軍のクーデターに対しても、カガ大佐のクーデターに対しても中立を保ち、勝ち馬に従う戦略を採るなど、軍内部の無意味な派閥抗争を嫌い、実務家として振舞った。
 しかし、唯一カガ大佐の国家再建プランには反対し、中枢から排除させられる結果となっている。
 のちに興隆するメガ惑星主義に対しても、アルダン帝国の維持という観点から批判的であった。


私生活


 1568年に26歳で結婚。息子2人と娘1人をもうけた。
 元がアルダンの出身者ではないため、軍中央勤務後もアルダンの上流階級における貴族的生活とは無縁であった。


評価


 マッサの戦いにおいて戦局を変えるきっかけとなったキーマンとして国民からの一定の人気を持った(しかし、メガ戦役においては多く誕生した英雄の中の1番人気ではなかった)。
 メガ国独立以後はメガ出身者であるという点から、重要な英雄として八英雄の1人に数えられた。


勲章


 メガ戦役1等勲章
 メガ戦役司令官勲章
 メガ英雄勲章
 対エル帝国勝利勲章
 アルダン帝国軍英雄
 アルダン帝国軍参謀本部バッジ
 他

 本人はメガ戦役1等勲章を誇りに思い、生涯身に着けていたという


著作


 『メガ戦役』(1591年) 前後半の2部作。前編は狭義のメガ戦役における駆逐艦艦隊での戦闘が中心。後編ではミヒャエル宙域海戦、そして彼を有名にしたマッサの戦いについて。ボアンガの口述をライターが編集する形で公開された。



〈百科事典トップへ戻る〉